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叙事詩の創出にむけて
木井昭一


試みを、叙事詩の──。
 未来へのあたらしい叙事詩の創出を。

 ほとんどの現代詩は、単なる感懐・情感の表白におわっているのではないか。なにか気のきいた句を一、二書きつけて事たれりとしている、詩人と称する人たちにあふれているようにみえるのだ。
 情趣にとんだとされる、思い入れ先行のそうした作品とは別に、私たちは今、散文の率直さに貫かれながら行ごとに連ごとに詩歌の魅力をたたえた叙事詩の創造をくわだてたいと思う。
 それは長編の物語であり、自由詩でありながら様式をひめた作品である。主人公は、あなたでもよい、歴史上の人物でもよい。伝統的な叙事詩のように英雄が主役をになうのではなく、誰であれ主人公が英雄なのだ。そこでは何であれ、超人でも猫でも一本の樹でも物語の主たる牽引力となろう。

 試みを、叙事詩創出の──。
 なぜ、詩なのか。
 それは余白による。余白こそは詩性の沃野であり、詩作の根拠、詩魔の棲家なのだ。すぐれた作品とは豊かな余白を生みだす。詩人とは、余白を創出し、そこにたつ者にほかならない。この余白が響きをさそい韻をおび、朗誦へといざなう、それが現代である。 
試みを。口語で、自由に。生きいきとしていながら、くるしみ、呻吟する主人公の造形を。
 主人公たることを決意もしくは覚悟して、状況を乗りこえようとする。それが行為である。散文の直裁さ、すなわち「事」とは行為のいいである。その行動をささえるのが詩人の冒険なのだ。
 主人公と共にたたかおう、混沌の中で、心の支えにむかって。風をおこそう互いに、さらにいきる力をもとめて。
 そして韻律と行為が一体となった時、鑑賞者はしらず明存へと導かれる。それこそが、いにしえより我われに詩と物語をしいている原郷である。最高潮に達するたびに、その次元に回帰するのだ。

 こうしてひろく呼びかけるのは、世にしられず、自身にも自覚されていない、あなた方の詩文の才に期待するからである。うずもれている詩藻がみずからあらわれることを、衷心からねがうからである。
 実現は前途多難に違いない。けれども、まずは試行を、新たな叙事詩創造の──せめてその萌芽でも。期するのは揺籃、目ざすは繚乱。さらには詩悦を、原郷の現出を。
取りかかろう、二つの方法で。一つは一人ひとりが叙事詩をつづっていくやり方。もう一つは、幾人かの作者であんでいくものだ。
 関心のある人、志をおなじくする人、いつの日か集まりを。

(連絡先:FAX 0662923358)